鶴岡八幡宮では、毎年9月14日~9月16日の3日間にわたって1年のなかで最も重要な祭事、例大祭が行われます。
鶴岡八幡宮の例大祭では、境内から神輿行列が出発し、若宮大路を巡行します。途中の三ノ鳥居、二ノ鳥居交差点付近は、多くの見物人でにぎわいます。
また、献茶会や流鏑馬、鈴虫放生祭など、さまざまな神賑行事も予定されていますよ。
鎌倉時代から伝わる、歴史ある鶴岡八幡宮の例大祭やその見どころをご紹介します。
鶴岡八幡宮・例大祭の歴史
鶴岡八幡宮は康平6年(1063年)、鎌倉幕府を樹立した頼朝公の先祖にあたる源頼義が奥州平定して鎌倉に戻り、出陣の際に加護を祈願した京都の石清水八幡宮の御祭神の御分霊を由比ガ浜にお祀りしたのが最初とされています。
頼朝公は流鏑馬や相撲、舞楽などの行事を積極的に鶴岡八幡宮で開催していました。
鶴岡八幡宮の例大祭は、文治3年(1187年)に源頼朝が催した放生会(ほうじょうえ)と流鏑馬が起源だと伝えられており、以来絶えることなく約800年もの間伝統が続いている、神社において最も重要な祭事です。
多くの氏子崇敬者の参列の下、厳粛に斎行されます。
かつての鶴岡八幡宮の例祭は、陰暦8月15日の満月の日に行われていました。
明治6年に旧暦(太陰太陽暦)から新暦(太陽暦・今の暦)に移行した際に、旧暦の8月15日に近い9月15日に開催されるようになり、現在に至ります。
そもそも例大祭とは?
例大祭あるいは例祭と呼ばれるお祭りは、神社にて1年に1度行われる特別な祭りのことをいいます。
大抵は神社に由緒のある日が選ばれ、春日大社は3月13日、八坂神社は6月15日、明治神宮は11月3日、太宰府天満宮が9月25日に行われます。諏訪大社のように、年に2回執り行う神社もあります。
例祭という名称が使われ出したのは近世のことで、それ以前には大祭(おおまつり)、御祭(おんまつり)などと呼んだり、社名に祭をつけて春日祭、石清水祭などと呼んだりしていました。
今でもこの呼称は神宮暦の内「小暦」に記されています。
近世には、各地の名所図会などに「○○神社例祭○月○日」と記載されているのが見られ、その神社を代表する重要な祭を例祭と呼ぶことが定着していたことがわかります。
明治の神社制度においては、例祭は祈年祭・新嘗祭などとともに「大祭(たいさい)」に定められ、官国幣社・府県社・郷社および一部の村社(神饌幣帛料供進指定神社)には、勅使あるいは幣帛供進使が参向して国・皇室から神饌幣帛料が供進されていました。
例大祭では、神への供物が盛大に捧げられ、祈祷者や地域の子孫、豊作などを包括して祈るのが習わしです。
鶴岡八幡宮・例大祭の見どころをご紹介!
鶴岡八幡宮の例大祭での見逃せない見どころはこちらです。3日間に渡って、様々な祭事が行われます。意味合いを知っておくと、よりじっくりと例大祭を見ることができるかもしれません。
浜降式
9月14日の早朝5時に行われるのが、例大祭に先立ち、神職が身を清めるために由比ガ浜で禊をする浜降式です。
由比ヶ浜の浜辺に呉竹二本が立てられ、注連縄がはられます。まだ夜が明けきらない神聖な雰囲気の砂浜に、神職が佇む姿は圧巻そのもの。
その後、清めのしるしとして藻塩草(海草)を持ち帰り、社頭に掲げます。
例大祭になると、さまざまな場所に提灯がかかりますが、よく見ると提灯の下に海草が掲げられているのを確認できますよ。狛犬の足元にも掲げられています。
宵宮祭
段葛に灯が燈り、御囃子の舞台も明るくなった頃に、宵宮の神事が始まります。
社務所前から出発した神職の列は祓戸に進み、祓戸を出た行列は、大石段を上がり神事の行われる本宮に進んで行きます。
翌日の例大祭の執行を大神様に御奉告をします。
宵宮祭の後には、和太鼓演奏の奉納があります。エネルギー漲る迫力の演奏が楽しめますよ。
例大祭(れいたいさい)
神社本庁から献幣使を迎え、宮司以下の神職、巫女、八乙女が奉仕します。献幣使とは、神社本庁から幣帛(へいはく)という神に奉献するものを供進する使者のこと。
例大祭では、そこに大勢の参列者を迎えて行われます。
神幸祭(しんこうさい)
本宮での神事の間、神幸祭の行列で使用する御神宝類が次々に大石段を下ってきます。
太鼓、錦旗、大榊、楽太鼓、唐櫃など、普段目にすることのできないようなものもたくさんありますよ。
神幸祭は、大神様に氏子区域を親しくお渡りいただくためのお祭りです。大神様を御神輿(おみこし)にお遷り頂きお渡りいただきます。
神幸祭は15日13時に出御祭を執行。御祭神はそれぞれ3基の御神輿にお遷りになり、本宮を出発します。
御神輿は三基ともほぼ同じ形状をしていますが、天頂と破風のデザインに特徴があります。
応神天皇の御神輿の天頂は鳳凰、破風正面の花弁が青色なのに比べ、比売神の御神輿の天頂は宝珠、破風正面の花弁は赤色です。そして、神宮皇后の御神輿の天頂は菊花、破風正面の花弁は白色となっています。
氏子により御神輿三基を御本殿から担ぎ下ろし、宮司以下神職、錦旗、神馬、提灯、太鼓、盾、弓矢などからなる総勢250名ほどの数百メートルの行列が若宮大路を二ノ鳥居まで進みます。
神職の衣装の色は位によって分けられており色とりどりで、まるで大河ドラマの世界に入ったような気分を味わえるでしょう。
御神幸行列は、二ノ鳥居前に至り、「御旅所祭」を執行します。ここでは、鎌倉市無形文化財の指定を受けている鎌倉神楽の八乙女舞が、地元の小学生によって奉仕されます。
還御後、宮司以下が御仮所の御神輿に拝礼し、大石段を上り本宮に向かいます。本宮で還御祭が執り行われ、その間、楼門は閉じられ、行列に参加した供奉員たちは大石段下で待機します。
楼門が開き、神職が退下すると、祭儀が終了となります。
流鏑馬神事(やぶさめしんじ)
舞殿において流鏑馬神事の執行が奉告された後、射手定によって選ばれた射手は神職より弓矢を授けられます。その後、境内を東西に貫く馬場へと入場。
流鏑馬神事は、神事→馬上からの弓引き→神事という一連の流れが重要とされています。
鎌倉武士さながらの装束に身を包んだ射手が、馬で駆け、さらに馬場の3つの的を射抜く神事は圧巻の迫力があり見ごたえ抜群。
鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場の長さは140間(約254.54m)。馬場に設けられた柵を「埒」(らち)と呼び、その高さは、的側の「男埒」(おらち)が三尺五寸(約106cm)、反対側の女埒(めらち)が二尺八寸(約82cm)。
源頼朝公の時代より800年の伝統を受け継いでいる神事です。
1187年(文治3年)に行われた流鏑馬神事は、源頼朝公臨席のもとで執り行われ、武芸に熟練した鎌倉武士たちが、その名誉を賭けて神事に臨んでいたようです。
鈴虫放生祭(すずむしほうじょうさい)
流鏑馬神事が終了し、境内に涼やかな風が流れる頃に執り行われるのが鈴虫放生祭。
舞殿にて雅楽の演奏と巫女による舞が行われた後、例大祭で御神前にお供えした鈴虫が、神職以下奉仕員の手によって境内の柳原神池に放たれます。
普段見ることのできない巫女の舞は、神聖な雰囲気に包まれることでしょう。
生き物を自然に帰すことで、生命を慈しむ「放生会」の心意を引き継ぐ行事で、鈴虫の澄んだ音色が心を落ち着かせてくれます。
神賑行事
鶴岡八幡宮例大祭の期間中には、例大祭をはじめとした厳粛な雰囲気の下行われる神事の他、境内にて多くの神賑わいが行われ、華を添えます。
献茶会・献華会・武道大会・和太鼓の演奏などが神様に奉納され、例大祭は賑やかな雰囲気に包まれます。
上代古流の永野貫玉社中と鎌倉国際華道協会による献花会では、生花を活けている様子を近くで見ることができます。完成された作品はさすがの腕前。美しい花々に心を奪われますよ。
舞殿の手前東西にそれぞれ奉納されています。
屋台
例大祭期間中は、境内に屋台が立ち並びます。例大祭を目で楽しむと同時に、食を楽しめるのもうれしいところですね。
2023年スケジュール
9月14日(木) | 16時 合唱会(北鎌倉女子学園コーラス部) |
18時 宵宮祭 | |
19時 和太鼓演奏会(神童太鼓) | |
10時~15時:献茶会(宗徧流神奈川支部) | |
終日 鎌倉囃子(雪ノ下地区) | |
9月15日(金) | 10時 例大祭 |
13時 神幸祭 | |
18時 日本舞踊(吾妻君香社中) | |
10時~15時:献茶会(池田宗房社中) | |
終日 献華会(永野貫玉社中・鎌倉国際華道協会) | |
終日 鎌倉囃子(今泉地区) | |
9月16日(土) | 13時 流鏑馬神事 |
16時 焼亡の舞(土肥会) | |
17時 鈴虫放生会 | |
終日 献華会(永野貫玉社中・鎌倉国際華道協会) | |
終日 鎌倉囃子(山崎地区) |
鶴岡八幡宮の例大祭!由緒ある祭事の賑わいを感じてみよう
いかがでしょうか。3日間かけて執り行われる鶴岡八幡宮の例大祭では、鎌倉時代から続く、由緒ある神秘的な祭事を見ることができます。
メインの例大祭を見るもよし、3日間続けて見るもよし、屋台と雰囲気を楽しむもよしと、さまざまな楽しみ方ができますよ。
鶴岡八幡宮と鎌倉駅を繋ぐ小町通りで、お土産を買って帰るのもよいでしょう。
晩夏の趣ある鶴岡八幡宮に訪れる際は、ぜひ例大祭に日程を合わせて訪れてみてはいかがでしょうか。
スポット名 | 鶴岡八幡宮 |
住所 | 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1-31 |
電話番号 | 0467-22-0315 |
参拝時間 | 6:00~20:30 |
URL | http://www.hachimangu.or.jp/ |